パイロットから人事へ──人と向き合える仕事を求めて

▲土屋鞄の人財開発課長 西島悠蔵

ITスタートアップの人事責任者として大躍進をしていた西島が、大きなシフトチェンジを果たし、ものづくりの世界へと足を踏み入れたのは2019年のこと。

今回に限らず、西島はこれまでにも何度か大きなキャリアの選択をしてきました。

西島 「学生時代、僕には学歴コンプレックスのようなものがありました。高校の同級生の多くが国立大学へ進んだ中、自分が進学したのは私立大学。就職で勝ち組になって、その分を取り返したかったんです。だから旅客機のパイロットになりました」

当時、就職氷河期でありながら、西島は持ち前の要領の良さで誰もがうらやむ企業の内定をいくつも勝ち取っていました。

西島 「採用募集ページを見れば、その企業で活躍している人が紹介されています。それを見れば、どんな人材が求められているのか逆算できたんです」

当時から俯瞰した視点を持ち、人事としての片鱗を覗かせていた西島。就職活動を難なくこなし、無事社会人になったものの、そのキャリアは長く続きませんでした。

西島 「パイロットの世界って上下関係がしっかりしているからこそ、安全や安心が守られていて、若手が上司に物申すのはタブーなんです。だけど、僕はあるときキャプテンの判断に疑問を感じ、文句を言ってしまいました。それがきっかけで少しずつ組織にいづらくなってしまって。『自分の気持ちに嘘をついてまで空を飛びたくない』と思い、パイロットを辞める決断をしました」

未来の可能性を否定されたかのようなこの出来事は、西島にとって大きな挫折経験となりました。その後、転職活動を通じて西島は、ある人材系の会社と出会います。

西島 「パイロットをなぜ辞めるのか?みたいな話を、その会社だけは深く聞いてこなかったんです。当時の人事部長は、その理由を『人と向き合うことを大事にしているから』と話していました。組織のしがらみから、パイロットの可能性を絶たれた自分にとって、その言葉が刺さりました。この会社に入れば、人と向き合う仕事ができると思ったんです」

その人材会社に転職し、キャリアアドバイザーを2年経験した後、人事へ異動した西島はすぐに手応えを感じ始めました。

西島 「人を採用することが、その人のためになって、会社のためになっていると肌で感じられたんです。とてもやりがいがありました」

しかし、採用の仕事を続けていくと、次第に自らの業務に疑問を抱くようにもなりました。

西島 「採用した後に活躍する人もいれば、合わない人もいます。自分が採用した人が、『同期がほとんど辞めてしまった』と泣きながら相談に来たときは、とてもショックでしたね。あらためて、人事の仕事の価値ってなんだろう、と考えるきっかけとなりました」

そんな西島の目にとまったのが、当時まだ駆け出しのスタートアップ企業だったベルフェイス株式会社(以下、ベルフェイス)だったのです。

スタートアップで開花したキャリア──人事のプロとして会社の顔に

▲会社の顔として、イベント登壇やSNS発信なども頻繁に行った
西島 「当時は、一番過酷な環境に身を置きたいなと考えていました。身に着けているプライドとか着ぐるみを全部剥がして、生身の人間で挑戦したらどうなるのか試してみたかったんです」

当時のベルフェイスは、採用した人がなかなか定着しない、人事面では過酷な状態だったといいます。

西島 「まだ 10人程度の会社だったので、採用した人のケアも、採用におけるターゲット設定もほとんどできていませんでした。会社に必要な人材を見極め採用していこうと整理していったのが、最初の取り組みです」

人材育成など、採用以外の仕事も含めた人事全般の仕事は、西島にとって初めての経験。ゼロから学ばなければなりませんでした。

西島 「課題が見つかるといろんな人に聞きにいって、自分で勉強して、実践する。 PDCAをとにかく繰り返していきました」

西島が入社したころ、まだ10人程度だった会社は、たった2年で100人規模の会社まで拡大していました。

西島 「なかには、最終選考で社長が NGを出したのに、社長に掛け合って採用した人もいましたよ。そのときは、採用サイトの立上げから入社後の新卒研修まで一貫して自分ひとりで対応していて、とても忙しかった。でも、前職時代に感じていたモヤモヤがようやく晴れたような気がしたんです」

しかし、人事として人に向き合う仕事は、楽しいことばかりではありません。ときには厳しいことを社員に伝える役目を背負うことも。

西島 「入社後に活躍する人もしない人もいる。なかなか活躍できない人と向き合ったり、ケアをしたりするのは大変でした」

ベルフェイスでは良い部分も悪い部分も味わったと西島は振り返ります。そして在籍時から人事として得てきた多様な経験や考えを、SNSを通じて積極的に発信するようになりました。

西島 「採用強化のために、ベルフェイスの顔になろうとしたんです。次第にいろんなメディアに取材されて、周囲から持ち上げていただけるようになりました。もちろん嬉しかったのですが、一方で『自分にそんな実力が本当にあるのだろうか』と、どこかでギャップも感じてモヤモヤし始めていったんです」

土屋鞄製造所との出会い──人事視点で“ものづくり”に対する評価を覆す

▲土屋鞄との出会いのきっかけをくれた人事責任者の三木芳夫(写真左)

人事として活躍し、市場から注目されてきたからこそ、新たに感じ始めた自身へのギャップ。そんなときに出会ったのが、土屋鞄の人事部長をしていた三木芳夫でした。

西島 「とあるイベントで登壇したとき、三木さんに声をかけられました。『君はものごとの掛け合わせが得意で、魅せるのが上手だね』って。まさに自分が悩んでいた、外からの見え方と自分の実力のギャップを突かれた気がしたんです」

三木は西島を土屋鞄に誘います。

西島 「ただ、土屋鞄のこと自体は知っていたのですが、製品を持っていたわけではありませんでした。正直、今さらものづくりはないでしょうって思いましたね (笑)」

しかし、その考えは次第に変化していきます。

西島 「実は過去に『日本の良いものをもっと世界に出そう』というコンセプトで事業をつくろうとしていたことがあったんです。ものづくりの世界をあたらめて目の前にしたとき、そのことを思い出しました。『意外と自分の興味関心は、ここにあるのかもしれない』って」

何気ない気づきが、西島の目線を高めていきました。

西島 「僕のように『なんで今さらものづくりなの?』と思ってしまうことが、今の世の中のものづくりに対する率直な評価だと思うんです。 ITとか SaaS業界には、人が集まりやすいですしね。でもメーカーとかものづくりは、何かしら仕掛けないと人が集まらないし、おもしろくなりません。そこに対して人事が介在する価値は大きいのではないかと気づいたんです」

“本物”を届けるために──ものづくりの世界に見いだした人事の介在価値

▲日々スタッフや候補者との面談を繰り返す西島。土屋鞄"らしさ"の維持と、多様な人材確保の両立という挑戦が彼を駆り立てている

土屋鞄に入社した西島は、人事としての枠に収まらず、経営やPRの視点も合わせて、ものづくりの世界へのイメージを変えようとしています。

西島 「ランドセルや鞄をつくる工房を見学させてもらったとき、“人の手でつくられている ”すごさを感じました。本物ってこういうことなんだなと思ったんです。
今まで SNSを活用した情報発信とかで、ちょっとごまかしながらやってきた自分と比べて、ものづくりはごまかしが効きません。本当に価値あるものにフォーカスしたいという想いは、パイロットを辞めたときからあったので、工房で職人の姿を見たときに素直に感動しました。こういう本物をちゃんと世の中に広めていきたいなと」

実際、社内には“土屋鞄愛”の強いスタッフが多いといいます。

西島 「これまで土屋鞄の採用チャネルは、自社サイトと大手就職サイト、あと数社のエージェント。たったそれだけで、 2018年度は数十人も採用しています。土屋鞄がもっている世界観に引かれて入社してくる人が多いのです」

しかし、実はここに課題があると西島は見ています。

西島 「たとえば、グローバル展開や新規事業開発などのチャレンジをしていくには、土屋鞄が好きだという人ばかりでは足りないのです。これからの土屋鞄には、起業経験者やコンサル経験者といった多様な人材を取り入れていかなくてはいけません。これまで土屋鞄に興味を持たなかった人たちにリーチしていくには、これまでとは違う切り口でのブランディング活動も重要だと思っています」

これまでの土屋鞄が長年培ってきたカルチャーを残しつつも、さらなる事業拡大のための人材を確保していくこと。そのバランスの取り方が人事としての頭の悩ませどころであり、西島を駆り立てる挑戦です。

西島 「日本が世界に勝てるかどうかを考えたとき、僕はものづくりでしか勝てないと思っています。アメリカの IT業界の成長スピードは日本と比べると圧倒的に早い。もういちど日本から世界に誇れる産業を出していくなら、間違いなくものづくりです。この 1、 2年でそれができなかったら、日本がものづくりで世界と戦っていくことは難しくなるでしょう」

未来に対する厳しい眼差しは、そのまま西島の覚悟を物語っています。

さまざまな業界を経験してきたからたどり着いた「ものづくり」という領域の可能性。

「なぜ、今ものづくりなのか?」誰もがそう問いかける中で、“ものづくり”でしか実現しえない未来を西島は見据えているのです。