“どん底”から這い上がり、世界に再度挑戦していく――Wondershakeの過去、現在、そして未来

「なにげない日常に非日常な体験を」というミッションを掲げ、大人の女性向けライフスタイル提案メディア「Locari」を提供している株式会社Wondershake。会社の立ち上げ時には、アメリカでの起業を目指すも “どん底”を経験。それでも代表取締役 鈴木仁士と創業メンバーは、かつてと変わらぬ夢を目指しています。
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驚きで世界を揺らす――かつて業界を賑わせたWondershakeの現在

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創業当時のメンバ−4名。
「Wondershakeという社名は、驚きで世界、そして人の心を揺らしたいという想いを込めて作りました。世界中の人々の生活インフラになる。そんなサービスを作っていきたいんです」(鈴木)

株式会社Wondershakeは、現在6期目。オトナ女子向けライフスタイル提案メディア「Locari(ロカリ)」を中心に事業を展開しています。Locariを考えはじめたのは2013年始め頃のこと。立ち上がる前からサービス名は決めていました。

「イタリア語で『小さな町』を意味する『ロカリテ』という言葉があります。イタリアのフィレンツェのような街でウィンドウショッピングしているときのような、ワクワクする体験を提供したい。その想いをよりキャッチ―な言葉に落とし込んで、『Locari』というサービス名にしました」(鈴木)

まるで雑誌を読んでいるときのように、さまざまな情報に接しながら同時に商品との出会いも楽しめるLocari。企画を思いついた背景には、鈴木たちがリリースしたECアプリで感じた、業界のジレンマがありました。

既存のECサービスは様々な小売店が集まってできており、出店した店舗が露出を増やすためには、広告出稿に依存しなければなりません。しかし店舗の資金繰りは安定しづらいもの。広告に出せるキャッシュは限られ、どうしても利益率も低くなってしまいます。頼みの綱である検索も、ユーザーが検索ワードを打たない限り、商品とユーザーが出会うことはない…。

だからLocariは、店舗からはお金をもらわずに、ユーザー課金型モデルのECサービスとしてスタートしました。しかし、このサービスが利益を出せるようにまでに、どれくらいかかるのだろう……サービスをリリースし鈴木たちがEC事業の難しさを思い知ったとき、メンバーとの合宿によって、新しいアイデアが生まれました。

「ECやメディアについて議論をしている中で、新しい物に出会う雑誌はあるけれど、物と出会いその場で決済までできるウェブサービスがないことに気づきました。記事を読んでもらい、人と情報や商品をマッチングさせ、その場で買ってもらう。これはこれまでのECサービスにはない体験を提供できる。そんな可能性を感じたんです」(鈴木)

その予感は間違っていませんでした。いまやLocariは、オトナ女子のライフスタイルを支えるメディアとして多くのユーザーに使われ、当社を代表するサービスに成長しています。

しかし、ここまでの道のりは紆余曲折の連続でした。創業当初に鈴木たちが構想していたのは、社名と同じ「Wondershake」という位置情報SNSサービスの提供を、アメリカで展開することだったのです。

ヒトとの出会いが導いた、起業への道筋

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アメリカでの準備中は希望に満ち溢れていた。
「実はWondershakeは、アメリカで勝負しようと思って立ち上げた会社なんです」(鈴木)

父親が商社で働いていた関係で、3~4歳にはナイジェリア、10~16歳はロンドンで過ごしたという鈴木。高校3年生のとき、『金持ち父さん 貧乏父さん』(著:ロバートキヨサキ)という本との出会いが、投資や金融分野に興味をもつきっかけに繋がりました。

「本を読んだ当初は、お金は投資する側の人間が一番儲かると考えていました。でも2008年、リーマンショックが起きたことで、大企業に入ることが安泰ではないし、金融業界自体も不安定だと気づいたんです」(鈴木)

だからといって、やりたいことがあるわけでもない。鈴木は思いつくままに、サークルを作って起業家インタビューを繰り返したり、海外へバックパッカーの旅に出たり……。そんな彼に新しい価値観を与えたのは、カンボジアで出会った現地の人との会話でした。

「現地の人がみんな想像以上に楽しそうにしているんですよね。話を聞くと、シンプルに“自分の国が好き”と答えるんです。でも日本人に聞いても、日本が好きって答える人は多くはないですよね。カンボジアや途上国には、日本の都会にはない『リアルな出会いやつながり』がまだあるから人はより余裕をもって生きているんだ、と気づきました」(鈴木)

このときの気づきが、Wondershakeの原点となります。バックパッカーをして帰国後はクラブイベントを主催し、その収入で寄付を行う活動をしていました。そしてその後大学3年のときにはアメリカへ留学。

しかし、リアルイベントの物理的な限界を感じ始めていた鈴木は、初めてネットの世界に目を向けます。当時、流行りはじめていたTwitterを駆使して、海外のTech系ニュースを翻訳して配信。やがてTwitterユーザーにも認知されるようになっていきます。

「Twitter上で認知されるようになって、国内の色んなビジネスパーソンとの交流が増えたんです。瞬時に世界中から反応があって人と繋がれる、インターネットの面白さに気づきましたね。それで自分も、Twitterみたいなサービスを作りたいと思ったんです」(鈴木)

こうして「ネットでの出会いをリアルに落とし込むサービスを作る」という考えに至った鈴木。図らずも鈴木が留学していた際に訪れたシリコンバレーでは、「世界を変えたい」「新しい産業を生みたい」と起業する人が多くおり、日本とは違って、スタートアップの失敗にも寛容な土地柄。そこで出会った人も「アメリカで起業しなさい」と背中を押してくれました。

「自分のアイデアをサービスにして、アメリカで勝負したい。こうして生まれたのがWondershakeです」(鈴木)

そして、鈴木は帰国して仲間探しへ。「アメリカで勝負しよう」 その姿勢に共感して集まってくれた藤井、千葉、伊藤……現在もWondershakeを支えてくれている創業メンバーと出会うことになります。

就労ビザが取得できず、まさかの“どん底”へ

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創業メンバーを集めた鈴木は、アメリカでの起業を目指して行動開始。「日本発グローバル企業」を期待させる鈴木のアイデアとチームは、瞬く間に注目されることになります。

「当時多くのメディアに取り上げられたこともあって、資金調達でそこまで苦労はありませんでした。『Wondershake』のプロトタイプが出来上がるころには、サンフランシスコへ行って、みんなで同じ家で過ごして……。まさに映画『ソーシャル・ネットワーク』の世界でした」(鈴木)

その後3ヶ月間サンフランシスコに滞在し、観光ビザが切れると同時に帰国。

そして2012年2月。就労ビザが取得できればアメリカで起業ができる、そう思っていた矢先のことでした。なんと、鈴木たちのビザが認可されなかったのです。今となっては理由はわかりませんが、資本金が足りなかったこと、創業メンバーに日本人しかいなかったことも影響していたそうです。

「しかも不法滞在になる可能性もあったので、アメリカに入国することすら叶わなくなりました。アメリカに行くと宣言していたのに行けなくなって……日本に居づらくなったので、1ヶ月間みんなでシンガポールに滞在していました。それはもう、逃げるように(笑)」(鈴木)

「Wondershake」はアメリカ向けに作っていたため、そのまま日本に移植してもうまくいくとは限らない。そこで、同じコンセプトを維持しつつ、リアルイベントに寄せたサービス「Tsudoi」をシンガポールで開発。その後プレサイトを日本で展開しますが、マネタイズ面で苦戦します。

そして2012年夏、ついにキャッシュが底を尽きかけます。投資家の方々からは、厳しい声が寄せられ、社内のメンバーも次第に自信をなくしていきました。アメリカで勝負をするはずだったのに、なぜこんなことに……鈴木は当時のことを「一番辛かった時期」と振り返ります。

まさに“どん底”の状況。それでも諦めずにいられたのは、ある方からもらったアドバイスと、創業メンバーがいたから。

「ある方から『次のチャンスが来るまで耐えた方がいい』と言われて吹っ切れたんです。もう受託でもなんでもして、お金を稼ごう。そんな気持ちになりましたね」(鈴木)

その後Wondershakeは、受託チームと新規開発チームの二手にわかれて、サービスを量産していきます。ところがこの時期には、創業メンバーのもとに他社から引き抜きのオファーが絶えずやってきていたそうです。

「自分は発起人だから当然辞めないけど、他のみんなも辞めずにいてくれたのが大きかったです。うちのメンバーは、みんな負けず嫌い。それに周囲を見渡しても『こんなに良いチームは、他にないよね』って」(鈴木)

受託案件を通して「仕事とは」「社会人とは」を学ぶことができたという鈴木。資金面で少し余裕ができてきたころ、「自分たちの事業で勝負したい」と思っていたメンバーはもう一度、新たな挑戦をはじめます。それがLocariでした。

「もう立ち止まりたくない」 それでも社名と想いは変えず、夢を追い続ける

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現在のオフィス。2016年5月に増床しました。
2012年当時、アメリカでは「トップハッター」というアプリがリリースされていました。ユーザーがリアルタイムでオークションを行えるそのアプリは、鈴木に「エンタメが効いた、ウィンドウショッピングのような体験をアプリで提供できたらいいな」と影響を与えます。

そのアイデアを元に2013年にLocariをECサービスとしてリリースしたけれども、当時創業者4名だけでECサービスを立ち上げ、集客、商品調達、カスタマーサポート、決済機能の実装と苦労をしました。そこで、前述のメディアとコマースを繋ぎ合わせるというアイデアにシフトさせ、メディアを本気で作るための資金調達を行いました。しかし一度失った信頼は、なかなか取り戻せないもの。再び投資家に声をかけるも、簡単には資金を集めることができません。

それでも諦めず、最後に足を運んだのが、創業当時から応援してくれていたニッセイ・キャピタルの永井研行さん。Wondershakeへの可能性を信じ、「自分の責任でお金を出すからサービスを作れ」と、新規事業への出資を快諾してくれたのです。

「仮にこの事業がダメでも、『こいつらはいつか成功する』と信じくれたんです。永井さんのおかげでLocariを作ることができた。彼は、Wondershakeの恩人です。多くの投資家が、メディアからモノを売るということに否定的でした。でも逆に考えれば、これは誰も目をつけていない“穴場”かもしれない。そう思って開発を進めました」(鈴木)

投資額が増え、Locariの成長にひたすら奔走する時期が始まります。その後は、メンバーと数字をつき合わせながら試行錯誤の日々。記事内容の改善など、さまざまな施策を打ち、サービスは成長していきました。またユーザー体験の主軸をアプリにすることで、ロイヤリティ(愛着)が高い人が増え、モノが記事経由で売れるように。

これまでになかった「ECサイト」と「メディア」の関係性を再構築しているWondershake。初の社員を迎えたことをきっかけに、「優秀な人しかいない」と鈴木が断言するほど実力を持つメンバーが続々と集まっています。

「創業当初考えていた、ヒトとヒトをつなげたいという点ではまだ未開拓状態。入社したメンバーにはプロダクト開発も、マーケティングも、セールスも、やりたいことはなんでもやってほしい。人が足りていないからこそ、自身の成長を実感できるのが、今のWondershakeですね」(鈴木)

これまでの“どん底”経験があったから、今のWondershakeがある。それでも鈴木は、かつての夢は諦めていないといいます。それは社名に込めた「驚きで世界を揺らす」という想い。主力サービスは変わっても、その名を変えることはありませんでした。

「もう絶対に立ち止まりたくないですし、国内展開で終わる会社にするつもりはありません。Locariから着想した新規サービスもどんどん作って、世界の中心地で勝負していきたいですね」(鈴木)

終わらぬ夢を追いかけて、世界のインフラになるサービスづくりを――。Wondershakeの歴史は、まだはじまったばかりです。

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