子どもたちが、本来の「異文化コミュニケーション」に触れる場所

アメリカ人が7割、日本人が3割。そんな変わった保育園が横須賀にあります。それが横須賀バイリンガルスクール。代表を務める井上芙美は、子どもたちに教育の場を提供することを通して、真の異文化コミュニケーションのあり方を問い続けています。これまで彼女が歩んできた道のりをたどり、考えの変遷を見つめます。
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アメリカの人たちと接して知った、本音でぶつかり合うことの大切さ

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「あなたのスクールは絶対に横須賀を代表するスクールになる。だから、自分を信じてがんばるのよ」――。

今も井上の心を支えている言葉。それは横須賀バイリンガルスクール(以下、YBS)を開校してすぐ、アメリカ人の保護者が井上に伝えたメッセージです。

井上はもともと、教育事業を展開する会社で創業時から働いていました。しかし諸事情により会社を去ることになりました。

井上 「今になって考えてみれば、違和感を感じていても意思を伝えることが相手の迷惑になると思って、ギリギリまで我慢してしまったな……と。でもそれは、自分に伝える勇気がなくて逃げていただけ。10年以上も一緒にいても、それが原因で信頼関係が壊れてしまって…」

前職を離れた後、井上はたまたま閉園することになった、友人が通っていた保育園を受け継ぐ形で、新たな保育園に携わることになりました。さらに偶然は重なり、最初に入園した園児の中にアメリカ人の子どもがいたことから、日本人とアメリカ人、どちらの園児も受け入れるバイリンガル保育園が誕生することになったのです。

これまでは「本音を伝える」ことを躊躇してきた井上ですが、アメリカ人の保護者と接するうち、本音をぶつけあう率直なコミュニケーションの大切さを知ります。時に意見が衝突しても、その先にはより深いコミュニケーションが生まれる――。

「自分を信じて」と声をかけてくれた保護者も、出会った当初は園に通う子どものことをめぐり、井上と何度もぶつかり合った相手でした。

お互いが本音で対話し続けていく中で、いつしか保護者と保育園側の人という壁はなくなっていきました。そして井上は、横須賀にいるアメリカ人の多くが、孤独感や不安感を抱いていたことに気づくのです。

そこで彼女は次第に、「どうしたら彼・彼女らが楽しく日本で過ごせるか?」と考えるようになり、アメリカ人たちの日常的な相談にも乗りはじめました。

井上 「たとえばスーパーで豆乳を買いたいけど、たくさんあるフレーバーの全てに『Soy milk』と書いてあって、どれを買っていいか分からないとか……。そんな日常のすごく小さなこともわからず、ストレスがたまっていく。それを誰にも話せずに、日本を嫌いになってしまっている人たちがとても多かったんです」

なかでも井上は、ある女性のことを今でも鮮明に覚えています。

子どものための教育の場が、家族にとっても日常をつなぐ架け橋になる

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その女性はアメリカ人で、子どもをYBSに通わせている保護者のひとりでした。しかし日本語があまり話せず、人間関係もうまくいかない。そのため日本のことを心底嫌っていたのです。

井上 「一緒に食事をしていたときに、彼女が『こんな言葉も通じない国に閉じ込められる3年間って本当に意味があるのかな……』と、ぼそっと言ったんです。それを聞いて悲しくなって……」

日本で心細い思いをしている外国の人たちはたくさんいる。彼・彼女らのために、自分ができることはないか――?

そう考えた井上は、夏祭りやバーベキューなど、YBSでさまざまなイベントを開催。子どもたちとだけではなく、保護者とも一緒に過ごす時間を作りました。

井上 「そうして日本の生活が彼女にとっての“日常”になったとき、彼女はネガティブなことを言わなくなったんですよね。こうして日常をつなぐ場をつくることが、外国籍の人たちにとって日本が “Home country”になるきっかけになるんだと気付いたんです」

そうした日常をつなぐことができる場所のひとつが、保育園や学校なのではないか――。まさに、自分が長年携わってきた教育が役に立てる。井上はそう感じました。

だからこそ、YBSでは「語学」を学ぶことを重視していません。日本人の園児にも英語だけを使うのではなく、コミュニケーションとして、言葉が異なっても相手の想いを汲むことや、多様性を尊重する教育を重視しています。

井上「英語が話せることは大切なことです。でも、英語はあくまでも道具にしかなりません。私は語学力だけじゃなく、言語を超えた“コミュニケーションの本質”を子どもたちや、保護者のみなさんにも体感してほしいんです」

実は、井上は前職で“All English”を方針としたインターナショナル保育園の運営に携わったことがありました。しかし英語しか話してはいけない保育園で彼女が目にしたのは、 「英語を話さなければいけない」状況に萎縮し、素直に甘えることや、自由な発言ができなくなった園児たちの姿でした。この方法では語学力は伸びても、子ども本来の自由な発想を封じてしまう――。

実際にそうした現場を知っていたからこそ、井上はYBSを子どもたちの素直な気持ちを表現する異文化コミュニケーションの場にすることを貫いているのです。

井上「以前、日本人とアメリカ人の子ども同士のけんかを目にしたことがあって。彼らは『自分はレゴが使いたい』ということを必死に伝えるために、日本語も英語もおり混ぜて話していました。そのときに私は、ただ語学力にすがるのではなく必死に“伝えよう”とする子たちを伸ばしたいと思ったんです」

さらにこうした教育方針を貫くことで変化が生まれたのは、YBSに通う園児だけではありませんでした。

卒園した外国籍の子どもたちに、居場所を作る

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井上はYBSで働く保育士たちに対しても、多様性を尊重し、自分の思い込みを壊すことを指導しています。まずは挑戦してもらい、少しずつ成功経験を積み上げていくこと。この方針は、スタッフの多くに自信を与えました。

さらに週末スクールや保護者参加のイベントを積極的に開催することで、大人たちにも外国人とふれあい、価値観の違いを体感してもらう試みを行っています。

英語が単なる「語学力」ではないことを理解してもらい、大人にも “真の異文化コミュニケーション”を体感してほしいからです。

さらに井上は、保育園を卒園していくアメリカ人の子どもたちがぶつかる壁にも着目するようになりました。

保育園を出たアメリカ人の子どもたちは、通常、慣れ親しんだ地元の公立校へ進学を希望します。しかし公立の小学校では、アメリカ人を受け入れる場合、両親のどちらかが日本語を話せることを条件としています。その条件を満たせない保護者も多くいるのが現状です。

また公立校を諦めて私立校へ進学したとしても、文化の違いなどから、アメリカ人の児童は小学校に馴染めないことも多いものです。

井上「今ある小学校が文化の違う彼らに歩み寄ることができたらいいと思う反面、すべてを受け入れることは無理だということも理解できます。そこで保育園だけではなく、新しい小学校を作りたいと思うようになったんです」

しかし小学校を建てるための認可を取るには、莫大な金額と年数がかかってしまいます。そこで井上が選んだのは、海外で利用される全世界共通の認可を取ることでした。

本質的な異文化コミュニケーションができる場を横須賀につくる

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小学校の設立を模索するなかで井上が出会ったのは、国際バカロレア教育(以下、IB教育)という世界共通の認可でした。インターナショナルスクール連合でも利用されているこの教育は、日本でも2020年に行われる入試改革のメインに据えられているものでもあります。

偶然にも、YBSをはじめた当時から井上が伝え続けてきた多様性を尊重する教育は、IB教育の根幹にある思想とまったく同じものでした。

IB教育を行う小学校の設立。このプロジェクトには、井上の横須賀へかける想いが詰まっています。

横須賀市は2013年に転出者が転入者を上回る「転出超過」で全国ワースト1となり(※)、現在も少子高齢化の問題を抱えています。そこで井上はバイリンガル小学校を作ることで、この地域に住む家族を増やし、横須賀市にも貢献していきたいと考えたのです。

井上「私は前職でコミュニケーション不足から退職を余儀なくされてからずっと、YBSに支えられてきました。横須賀の街にやり直しをさせてもらいました。YBSを通して出会った人たちが、私を支えてくれたんです。だからこそ何か、恩返しをしたいと思っていて」

井上の考える横須賀への貢献とは、地元だけでなく、異文化コミュニケーションに興味を持つ全国の子どもたちを受け入れる場所を作ること。2017年現在、井上はその準備を着々と進めています。

真のグローバル教育とは、挑戦を恐れず、自分とは違う価値観を知ったときに、常識や思い込みを自分に問い直せる大人になることだと、彼女は考えています。保育園でも小学校でも、多様性を尊重すること。この教育方針は、これからも変わることはありません。

井上「正しいと思ってきたことも、『本当に正しいことなの?』と自分自身が問い直すきっかけのひとつとして、外国籍の人たちと触れ合うことがあればいいですよね。そして将来彼らが、自分が他人と違うこと、他人も自分とは違うこと、どちらも受け入れることができたら、最高だと思います」

異文化コミュニケーションの本質を理解してもらうことは、決して簡単なことではありません。だからこそ井上はこれからも、 YBSの活動を通し、本当の意味でのグローバル教育のあり方を、横須賀から全国へ発信しつづけていきます。そしていつか、YBSに触れた子どもたちが日本、世界の各地で多様性を楽しみ言葉を超えて本気のコミュニケーションをする日を思い描いている。

※出展元:「2013年人口移動報告」(総務省)

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