大病を乗り越え“一生チャレンジ”を掲げる看護師は、60歳の現役大学院生

働き盛りの40代、家族に支えられ大病と闘った看護師・井村春美。以来、自分の人生の意味を問い続けてきました。長年勤めた病院を定年退職した2017年現在は、在宅医療専門の吉田クリニックで働きながら大学院に通う毎日。挑戦し学び続けることで医療の最前線を駆け抜けてきた看護師人生と、在宅医療への思いを語ります。
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看護師としてのモットーは、笑顔とあいさつと「手でふれる看護」

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▲井村の子供たち。娘ふたりが母と同じ看護師の道に進んでいる。娘の振袖は井村が着付けた

看護師として約40年のキャリアを築いてきた井村(2017年現在)。以前勤務していた病院を定年退職後、愛知県名古屋市内の吉田クリニックに入職し、在宅医療に取り組んでいます。

吉田クリニックの看護師として働くかたわら夜間の大学院に通い、医療と福祉のマネージメントの勉強にも励む人一倍の努力家。何事にも一生懸命な彼女は、人の世話をすることが好きだったことから看護師の道を選びました。

名古屋市内の看護学校を卒業後の1978年、同市内の急性期病院に入職。以来ひとつの病院で39年間、最新医療と向き合ってきました。その間、結婚、出産を経験。働きながら4人の子どもを育てあげます。

井村「主人に協力してもらいながら毎日朝晩、保育所まで走って子どもたちを送り迎えして、夜は炊事や洗濯……。ゆっくりテレビを見た記憶もないですね」

日々あわただしく過ごしながらも、すくすくと育った子どもたち。いまでは娘ふたりが母と同じ看護師の道を歩んでいます。娘から「看護師になりたい」と相談を受けたときは、「夜勤もあるし大変なのに」と思う反面、うれしくもありました。

井村「看護師の娘たちとはお互いに同じ立場で話ができます。自分なりのモットーを見つけて、成長してくれたらと願っています」

井村自身、看護師として“モットー”を大事にしてきました。新人時代のモットーは「患者さんに迷惑をかけない」こと。いまは笑顔とあいさつ、そして「手でふれる看護」の3つを自らの努力目標に掲げています。

井村「手でふれることは、患者さんと良好な関係を築くうえでさまざまな効果があります。検査や手当で患者さんに直接ふれるときも、肩や背中にそっと手をおくときも、相手に対して精一杯の気遣いを込める。そうすることで、緊張して不安そうな患者さんの表情がやわらいだりすることが、これまでによくありました」

患者さんにふれることは、相手の心にまでふれること。病院勤務時代の長年の経験から、やさしくていねいに接することが、患者さんが安心できるケアにつながると彼女は信じています。

大病を患い、死と向かい合ったことで“生きる”を実感

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▲病院勤務時代の井村

病院勤務時代、看護師として順調にキャリアを積み重ねていた彼女に転機が訪れます。それは、2002年に40代半ばで大病を患ったことです。

井村「診察室で告知を受けたときには、ドクターが患者さんに説明をしているのを看護師の私が第三者として聞いているような感じでした」

自分の家族にも、医療者として冷静に病気のことを打ち明けることができた井村。しかしそんな気丈な彼女でさえ、手術の前の晩は「死ぬかもしれない」という不安から涙が出て止まらなかったのも事実でした。

井村「大きな手術を終えて病院のベッドで寝ていたとき、自分の人生を真剣に見つめ直しました。仕事と家庭に精一杯生きてきたつもりだけど、本当は何がしたかったのだろうと……。それからです、やりたいことをやろうと思ったのは」

病気をきっかけに、「興味をもったことにチャレンジする」「途中で絶対にあきらめない」、そんな生き方をしていこうと決めた彼女は、研修会やワークショップに積極的に参加。

「手でふれる看護」にも通じる、皮膚を軽くつまんで引っ張り、リンパや血液の流れをよくする「整膚(せいふ)」という手技が行なえる整膚師の資格を取るなど、勉強に精を出します。

井村「看護師は、常に勉強をしていなければ現場の技術においつけない職業です。前の病院にいたときに学校を複数かけもちしていた時期もあり、仕事上のことに限らず、経営開発学や着物の着付け資格などいろいろ勉強しました」

定年前に58歳で一念発起して大学院に通い出したのも、興味のある研究に取り組んでみたいという自分の気持ちをおろそかにしたくなかったからでした。

仕事を終えたあと急いで電車に乗り、講義を受けて帰ると家に着くのは夜中の24時近く。仕事と学業と家庭を自分なりにうまく切り替えて、現役大学院生生活を続けています。

そんな彼女が吉田クリニックに出会ったのは、2017年6月のことでした。

患者さんに“生きる”ための場を提供する吉田クリニックに共鳴

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▲井村が吉田クリニックで目にした封筒。「生きる」の文字が書かれている

定年退職をしても地域と関わりながら人の役に立ちたいと考えていた井村は、看護師としてのキャリアが生かせる、吉田クリニックに入職します。はじめて吉田クリニックを訪れた日のことはいまでも忘れられないと、彼女は振り返ります。

井村「事務所でふと目にした封筒の表に、『生きる』という文字が書いてあったんです。それを見たとき、病気と闘ってから生きること強く意識してきた自分が必然的に導かれ、くるべきところへたどりついたような衝撃を覚えました」

吉田クリニックでは、訪問診療先で入院同様のレベルの高い医療を行なうことで、がんや難病の患者さんも受け入れ可能な在宅医療を提供しています。

このとき井村が目にした封筒は、終末期の患者さんを受け入れるために、吉田クリニックの医師・吉田淳が立ち上げたサービス付き高齢者向け住宅「ナーシングホームジャパン」で、当時使われていたものでした。

井村「吉田クリニックが提供している在宅医療や、吉田先生が行なっている事業は、どちらも患者さんに『生きる』ための場をつくることにほかなりません。
死と向かい合った患者さんが、残りの人生をどう生きたいのか。患者さんの意志を尊重し、ご自宅での生活をつづけられるようにサポートをするのが私たちの仕事です。
自分らしく生きるためには、あきらめないことが何より大事だと考えている自分にとって、これほど向いた仕事はないと思っています」

長くひとつの病院に勤めてきた井村にとって、在宅医療ははじめて踏み出す世界。しかしそこには、吉田クリニックを訪れた彼女が最初に感じたとおり、これからの自分の生きるべき道が開けていました。

奇しくも井村には病院勤務時代にも、ゆくゆくは彼女が在宅医療へといきつくことを予感させるような患者さんとの印象的なエピソードがあったのです。

看護師人生のすべてをかけた在宅医療で「手でふれる看護」を実践

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▲2017年現在の井村。在宅医療と向き合う毎日を送っている

それは、彼女が看護していた患者さんが退院することになり、同僚と見送ったときのことです。

井村「その患者さんはもともと一人暮らしだったので、退院後は施設へ向かったのだと思います。体力が衰えて車イスにも乗ることができず、寝台のまま移動の車に乗せられました。
車が出発した直後、患者さんは寝台に寝そべったまま、見送る私たちに車のなかで手だけを挙げて応えてくれました。そのときの患者さんの手には、どんな意味が込められていたのだろうと、いまでもまぶたの裏に焼き付いています」

また、退院して自宅に帰る身寄りのない末期がんの患者さんが、「自分が死んだあとのことは全部役所にまかせてあるから」と、話していたことも忘れられません。

これらは、在宅医療という選択肢がなかった時代のできごと。「あの患者さんたちはこれから先どうなってしまうのだろう……」。そんな気がかりが、彼女の心にずっと根をはっていたのです。

井村「施設や居宅を訪問する在宅医療は、いってみれば私が病院で別れてしまった患者さんたちのその先に関わっていくことです。当時はようすを知ることすらできなかった、病院を出た患者さんたちの療養生活を支えていけることは、とても意義のあることだと思っています」

患者さんと家族のために、自分の知識と技術を総動員して、できることをしたいと願う彼女。

井村「在宅医療に携わり、自分は看護をすることが根っから好きなのだと改めて実感する日々です。
先日は施設を訪問し、患者さんが痛みでつらそうだったので、体のどこが痛いのかをうかがってずっと手でさすったり整膚をしたりしました。私がモットーとしている『手でふれる看護』は緩和ケアでも大事なので、患者さんを見守るご家族にも取り入れていきたいと思っています」

これまで、数えきれないほどの患者さんにふれ、安らぎや勇気、希望を与えてきた井村の手。看護師として豊かな経験を重ねてきたその手は、在宅医療の現場でこれから先、多くの人の痛みや心配をあたたかく包み込んでいくことでしょう。

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